園だより

平成30年 ならの木便り 3月

ならの木便り

園を巣立つ子どもたちのために

 平成30年3月、内郷幼稚園の閉園の日を迎えます。山々に囲まれ、四季折々の衣替えをする豊かな自然の中で、多くの子どもたちを育んだ内郷幼稚園。県下でも有数の素晴らしい環境だと言われておりました。その山々に子どもたちの卒園の練習の歌が響きます。折に触れてこの園庭で内郷の園児たちと楽しく遊んだ新町幼稚園の子どもたち、その皆に逞しく生きて欲しいという願いを込めて次の童話を贈ります。

☆タンポポの夢
 周りを山に囲まれたうちごう幼稚園の、フェンスの向こう側には栗畑が広がり、梅雨時になるとしろつめ草が沢山咲いておりました。そのしろつめ草にまじって、花の盛りを終えたたんぽぽがあちらこちらに咲き残っておりました。それぞれのたんぽぽは、頭にひな鳥のうぶ毛のようなほわほわのかんもう(冠毛)をつけた実を沢山のせておりました。そのなかでも、園庭のフェンスの内側に咲いているたんぽぽが仲間のどのたんぽぽよりもしっかり、どのしろつめ草より高く、頭を持ち上げておりました。かんむりをつけた小さな子どもたちは、仲良くおしゃべりをしたり時にはけんかをしたりして、とてもにぎやかでした。
 皆、もうすぐ風に乗って旅に出なければならないと言うことを、お母さんから聞いておりました。自分たちが、どのようなところに旅に出るのか、お母さんみたいに立派に咲くことができるのかなど、そんな話を沢山するようになりました。これからどうなるのかという不安と、飛んでいったさきで素晴らしいことが待っているかもしれない、というような夢を話し合ったりしました。
 そんな話のなかにも、意地の悪い兄さんたちが、時には小さな弟や妹を馬鹿にして、
「お前たちのようなちびは、俺さまみたいに立派にはなれないんだぞ」といばってみせておりました。そんないばりんぼの兄さんたちだって、弟や妹たちよりも、たいして立派だったわけではなかったのですけどね。
 弟や妹たちは、そんないばりんぼうの兄さんたちにうっかり逆らうと、いやな思いをするので黙っておりました。どんないやなことをするかというと、風が吹いてきたときにわざと大きく身体をゆらして、さからった弟や妹の身体をくすぐったりするので気持ちの悪い思いをしたり、泣きたくなるような意地の悪いことを言ったりするのでした。
 お母さんは、兄弟たちの小さな争いは、たいがいは黙って聞いておりました。
これから、この子たちがどんなつらい思いをするかも知れないと思うと、少しくらいのいやなことは我慢させた方が良いと思っていたからです。 
 それはよく晴れて、さわやかな風の吹く日のことでした。お母さんは子どもたちに向かって呼びかけました。「かわいいお前たち、いよいよお別れの日が来たようだよ。皆がしっかり旅に出られるように、お母さんはこんなにも高く首をのばしたのだから、力いっぱい高く飛んでごらん。そしてきれいな花を咲かせるのだよ」
 お母さんの頭の上で、まっ白なかんもうをいっぱい広げた子どもたちは、飛び立つ準備はできておりました。
「ありがとうお母さん、ぼくたちがいなくなっても、お母さんも元気でね」そう言い終わったときに、とつぜん風が吹いてきて、最初の子どもが飛び立ちました。
「お母さん、さようなら!兄弟たち、さようなら!」二度目のさようならは、聞こえないほど遠くに飛んでいました。次に吹いてきた風で、また兄弟たちが飛び立ちました。そうやって、風が吹くたびに、次々と別れの言葉が遠くにかすんでゆきました。
 お母さんの頭の上からは、だんだんと子どもたちがいなくなって、ずっと少なくなって、もっと少なくなって、小さな子どもがひとつ残りました。
「私は旅にでないわ。お母さんをひとりぼっちにはできないもの」
お母さんは心を込めて、優しくいいました。
「お前はいやでも行かなければならないのだよ。お前たちも、いつかは花を咲かせて、お母さんと同じように、このようにして子どもたちを送り出すのだよ。そして、その役目が終わったら枯れて土に帰るのだよ。お母さんのお母さんも、そのまたお母さんも、ずっとそのようにしてきたのだよ。今までお前たちと一緒にいて、沢山の思い出をもらったからそれで充分なのだよ。お前たちの思い出があれば少しでもさびしくないよ。さあ、お母さんのことは心配しないで、お前もあの青い空に思い切り飛んでお行き。風さんがおろしてくれたところがお前のいる場所だよ。運んでくれた風さんに感謝して、お前なりに咲いてごらん。
そこに、お日さまが照らなくて暗い寂しいところでも、荒れた土地で小さくしか咲けなくてもがっかりすることはないよ。お前はお前らしく咲けばよいのだから」
そこに風が吹いてきました。
「あっ、お母さん・・・・さようなら」あまりに突然だったので、さようならの声は、とっくに聞こえないほどに遠くに飛んでおりました。
 あとには、子どもたちの思い出をいっぱいに詰めて坊主になったお母さんの頭がうららかな陽の光をあびて、揺れておりました。
園長 浜野和子

とっても可愛いお雛様が出来上がりました。次々にアイディアがうかんできました。 着物や金屏風がしわにならないようにのり付けするのが難しかったです。素敵なお雛様が出来上がりました。 お別れ遠足、高尾山へ出発です。今年は年中組も一緒の全園児での登山に挑戦しました。

ぽかぽかと気持ちの良い日差しの中、頂上目指してはりきって歩きました。 お弁当の後は、さる園に到着。子どもたちもサルに負けないくらい元気いっぱいです。 3月18日に閉園式を行いました。最後の鼓笛演奏を沢山のお客様の前で披露しました。



平成30年 ならの木便り 2月

ならの木便り

「インフルエンザ」と「大雪」からの出発のと出発の年

 「寒いわね」が挨拶代わりのようになっている今日この頃です。新町幼稚園は、今月下旬になってインフルエンザの流行のために二日間休園にしました。同時に、内郷幼稚園は大雪のためにバスの運行ができずに休園となり、皆様にご迷惑をおかけしました。
 そのような厳しい状況の中、丁度雪が降り始めた22日、新町幼稚園では予定通りのお誕生会を行いました。
ちょうど降り始めた雪の中を、ご近所にお住いの西村さんが、お友達を連れて3人で来て下さって、マジックショーを披露して下さったり、ウクレレに合わせて皆で歌を歌うという楽しい時間を過ごしました。マジックの不思議さに子どもたちは興味津々、皆が夢中で見つめているのが印象的でした。このような時に体調不良の子ども達がいて、お休みだったのが残念でした。
 同じ週の金曜日には「買い物ごっこ」を行いました。年少から年長クラスまで、この日のために皆で作ったエコクラフトの「商品」を机一杯に並べました。
 お弁当や買い物袋、ネックレスや腕輪、ハンバーガーやソフトクリーム、それぞれ想像力逞しく、工夫を凝らしたカラフルな品々が机に並び、「いらっしゃい、いらっしゃい」の元気なかけ声が教室に響いておりました。
 手作りのお金やレジも作ってあり、当日販売する商品の図もそこに描いてあって、レジに座ってお金を受け取る子どもたちの真剣な様子も愉快でした。買い物が終わった子どもたちは、教室の一角に拡げてあるシートの上に、皆で遠足の時のようにかたまって座って、ハンバーグやアイスクリームをおいしそうに食べるジェスチャーをする子どもたちもいて、それを見ながら私たちも大いに楽しみました。
 預かり保育も終わったその日の夕方、先生たちは何をしているのかしらと思い、教室の様子をのぞきに行きました。そこでは担任の2人が何かの作業をしておりました。牛乳パックの下から3分の1くらいのところをハサミで切り取り、上の部分は一カ所に切り込んで丁寧に伸ばしております。
 既に時刻は6時を過ぎていたし、残雪の影響もあって外は冷凍庫並みの温度です。室内は暖房していても寒さがジワッと感じました。私は、背を丸めて熱心に仕事をしている2人に、子どもたちの力量に合わせて、最初から子どもたちが作れる工作を考えたらどうかと声をかけました。そのような園長の考え方もわかってはいるけれども、「自分たちは、労力を惜しみたくないし、手を抜きたくないし、こうしたいのです」と言われて、手を抜いてほしいという意味ではないのだけど、と心の中につぶやいて、その熱意は見上げたものだけど、「インフルエンザも流行っていることだし、体調を整えるために早く帰るように」と言ってそこを離れました。
 戸を開けた瞬間、寒気に身体を包まれました。でも先生たちの屈託のない笑顔がさわやかで、心が温かくなったような気持でした。

 新町の「お買い物」は1月の30日の火曜日、内郷は2月20日の火曜日に行います。この行事は子どもたちにお金の大切さ、お店でのマナーを身に付けさせる、という目的を持って行います。ご家庭でも趣旨をご理解いただいて、普段からお子さんと話題にしていただきたいと思います。 
 内郷の職員たちも、閉園を惜しむ気持ちからか、子どもたちに一つでも良い思い出を残したいと、いつもに加えて一層心を込めて日々を過ごしているのを感じます。一日一日が万感の思いを込めて過ぎていく、今の内郷に関わる人たちの共通した感情ではないでしょうか。あとわずかに残る日々です。保護者の皆さんにも是非温かいご協力をいただきたいと心から願っております。
 
 今年頂いた年賀状の一枚に、〔ドッグもといグッドな年でありますように〕という言葉が添えられてありました。インフルエンザの大流行や大雪で始まった1月、荒波にもまれる船出となりました。でも、これは年の初めに「厄」を落としたと考えて、2月からは、降り続く雪が積もるように、良いことが積み重なる年、「終わりよければ全て良し」の年であって欲しいと思っております。

園長 浜野和子
思い思いの鬼のお面を作りました。節分を話を真剣に聞いている子どもたち。自分の中のどんな鬼をやっつけるのかな? とても強い鬼の登場にドキドキして逃げ回る子どもたちです。 地域の福祉のつどいに出展しました。一つ一つ丁寧に作った作品を沢山の方に見て頂きました。




平成30年 ならの木便り  1月

ならの木便り

新たな年に願う

 穏やかな天候で開けた今年のお正月、皆様には良き年をお迎えになったことと存じます。
 今年こそ年賀状を早く書かなければと考えていたにもかかわらず、書き終えて投函してほっとしたのは暮れもかなり押し迫ってからでした。忙しさに追われているうちに大晦日となり、紅白歌合戦を眺めているうちにいつの間にか眠りに入り、起きたら元旦を迎えていた私でした。ところどころにチャンネルを替えながら見ていた紅白ですが、数多い出演者の中でも、ヨシキのドラムを叩く姿は心に残りました。既に頸椎を2度も手術しているとか、どんなに辛いだろうかと思うと、胸が痛くなる思いでした。
 年賀状については、誰かが、『書くのは億劫、いただくとうれしい』などと言っておりましたが、確かに書くときには大変なこともありますが、葉書の束を、一枚一枚を見ながら、ご無沙汰していた友の顔が浮かんで、字を眺めているうちに声が聞きたくなって、つい受話器を取って長電話をして幸せ気分になるのもお正月の楽しみだったりします。
 昨年、12月21日の終業式の日には、内郷幼稚園にでかけて行きました。休みの時の心得として、お正月にいただく‟お年玉”はお父さんお母さんや、下さる方の大切なお金であるから無駄にしないようにと言うことを、園児たちに話しましたが、それと一緒に、「お正月には、年神様という神様が、みんなのうちに来て下さる、そして神様は『ありがとう』と言う言葉が大好きだから、神様が喜ぶように感謝の気持ちを込めて『ありがとう』を沢山言いましょうというお話をしたのですが、子どもたちはしっかり言えたでしょうか。すべてに対して感謝の念を抱くことが、幸せな生涯に欠かせないことと私は思っております。子どもたちにはいつまでも、お父さんお母さん始め、周囲の人に対しての感謝の気持ちを忘れないで欲しいと思っております。
 新町幼稚園は夏休みの8月に木造の園舎を取り壊しました。そして9月には新築の木造舎を建築する予定でした。新年にはそれが完成しているはずでしたが、いろいろな事情で延び、1月の中旬頃に着工の予定となりました。建物が仕上がるのを楽しみにしていて下さい、という建築業者の言葉でした。何回も打ち合わせを重ねた結果です、素敵な園舎ができるとこと期待しているところです。
 昨年の12月10日のこと、卒園生の有志と保護者の方々が集まり、お餅つきを行いました。卒園生が男性3人女性3人、それに保護者4名と当時担任だった先生と私の12名、この中にはこの日のために北海道や横浜から駆けつけた卒園生もおりました。皆で協力して沢山のお餅を作って楽しい半日を過ごしました。
 1人の卒園生が2階の教室に入って周囲を見渡しながら、「当時のままだ、懐かしいな」と、いかにも感慨深げに言いました。この部屋であんなに幼かった子どもたちが、立派な大人になってここにいることが、フッと別世界から現れた人たちのような感覚を覚えました。そして、ここの卒園生たちはピーターパンのような幼児の世界から、大人の世界に羽ばたいていったのだなと感慨深く当時を思い越こしました。
 月日が経つのは何と早いことなのでしょうか。私がこの仕事に就いて苦労していたとき、保護者の人たちは心から協力して、私や職員たちを支えてくれました。この卒園生の中のお母さんの1人は、あの当時、進んで役員を引き受けて下さって、私の初めての運動会の時、1人の子を背負い、1人の子の手を引いてゴールテープを持ってくれました。着実に立派に社会で活躍しているこの青年たちと、とりとめのない話をしながら、平凡で良いから、社会の縁の下の力持ちで良いから、穏やかに日々を送って欲しいと願いました。
 内郷幼稚園は今年の3月をもってその歴史を閉じますが、幼稚園の歴史が蒔いた種は、今後も着実に育っていくと思います。そして閉園まであとわずかを残す日々、在園している子どもたちの保護者の方々にはいろいろな思いがあることでしょう。でも最後にこの幼稚園を巣立っていく園児たちのためにも悔いのない閉園にご協力いただきたいと願っております。二度と帰らない日々のために。

園長 浜野和子
園の周辺に散歩に行きました。以前見学させていただいた消防署では訓練をしていました。 久しぶりに温かな日差しの下。小さな春を見つけながらの楽しい散歩になりました。 枯れた葉の下からうっすらと緑になった葉や、オオイヌノフグリの花の見つけました。

突然の大雪に子どもたちは大喜びです。 グラウンド一面に雪が積もり、思いっきり走ったり寝転んだりして遊びました。 お友達と一緒に雪だるまやかまくらを作りました。手は真っ赤になり冷たいはずなのに、たくさんの雪を運んでいました。



平成29年 ならの木便り 12月

ならの木便り

ちょっとホットなお話

 11月下旬、すでに日は暮れ、寒さに思わず身を縮めながら新町幼稚園の二階の階段を登っていくと、部屋には明かりがついておりました。明るい部屋のなかで、担任の1人はお遊戯会用の衣装を整え、1人はミシンを踏んでおりました。ブルーの厚手の布を使い、袋状のものを作っていました。
「何を縫ってるの?」と問う私に、「子どもたちの楽器の肩当てを縫っています」との答えでした。
打楽器などのベルトを肩にかけるときに、子どもたちの肩が痛くならないように、厚手の生地で肩や首当てを作っていたのでした。
お昼に給食を食べて以来、何も口にしないで、お腹が空ききっているだろうに、笑顔で明るく答える声に、あまり遅くならないようにと言い残して、私はそこを去りました。
階段を降りながら、私の心が歌を口ずさんでおりました。

  母さんが夜なべをして、手袋を編んでくれた
  木枯らし吹いちゃ冷たかろうて せっせと編んだだよ
  ふるさとの便りは届く いろりのにおいがした

 それから2~3日後、自他共に認める色黒の先生がこんなことを言いました。
「世界中にはいろいろな人がいます。背の高い人もいれば低い人もいます。肌の色も白い人・黒い人もいます。そして、この幼稚園にもいろいろな先生がいます。」という話の後に、言葉を続けて、昨日、ある男の子が言うには、「先生は顔が茶色くなければ、もっと可愛いのに・・・」
すると、そばにいた女の子が、「先生の毛が茶色いのは、いつも外でみんなと遊んでくれるからなんだよ」と言ったそうです。
「子どもは、よく見ていますよね」と、先生は本当にうれしそうにその話を私にしていました。
 どんなに暑い日でも、あるいは寒さが厳しい日でも、率先して子どもたちを相手に園庭で遊んでいる先生です。
楽器を演奏するときに、子どもたちが、肩や首などに痛い思いをしないようにと、疲れた身体を厭うこともなく、
当たり前のようにミシンを踏む先生、すっかり日焼けして、いつもみんなにその黒さをからかわれていながら、何でもないようにそれを受け入れている先生、それをいたわりの目で見ている子どもたちがいる、その子どもの言葉にの中に、先生に対する愛情を感じました。

 12月に入ると、新町幼稚園・内郷幼稚園共に、幼稚園の主要な行事であるお遊戯会を行いますが、新町幼稚園では体調を崩す子が多く、担任も苦慮しているようです。内郷は幸い順調に練習に励んでいる様子です。
 内郷は、最後の納涼大会・最後の運動会と、私の意識の中でそんな言葉が浮かんでしまいます。私が顔を見せると、いつでも元気一杯挨拶をしてくれる子どもたち。その明るい笑顔は明るくさわやかで、自然に囲まれた雰囲気のなかで、気持ちが和やかになっていた私でした。
 それは担任を始め、職員全員が子どもたちにいつも明るい笑顔で接していることから生まれるのだと思います。
そして、私に限らず園に来る人に対しても、礼儀としてしっかり挨拶をするように躾ているからでしょうか。
 内郷でも、職員たち全員の愛情たっぷりで過ごしていることが、あのように明るさに通じているのでしょう。
 お遊戯会の子どもたちの活躍はご家族の方々の素敵なクリスマス・プレゼントになるでしょう。
 お遊戯会まであとわずかの日数です。お子さんだけではなく、ご家族の皆様体調管理をしっかりして、お子さんと共にお遊戯会を楽しんで下さい。

園長 浜野和子
クリスマスお遊戯会。気持ちを1つにして「四季のメドレー」を合奏しました。 年中組の舞踊劇「ブレーメンのおんがくたい」。途中、泥棒役に着替えて登場しました。、一人二役を上手に演じ分けました。終わった後は達成感でいっぱいの表情をしていて、とても印象的でした。 年長組の劇「しらゆきひめ」。お友達の動きも「ここは、こうしたらいいんじゃない?」と声を掛け合いながら練習しました。本番は全員が力を出し切って役を演じました。とても沢山の拍手をいただき、大喜びの子どもたちでした。

子どもたちが、とても楽しみにしていたサンタクロースの登場です。サンタクロースさんと先生のお話がとても気になります。プレゼントを持ってきてくれたことがわかると、立ち上がって喜んでいました。 近くの小学校との交流会です。卒園したお友達に会いお互いにちょっと照れくさい様子でした。 1年生がリードして学校内を案内してくれました。「ここはどんな部屋かな?」と興味津々の園児達でした。



平成29年 ならの木便り 11月

ならの木便り

飽食の時代に思う

 先日来続いた雨に、いつお芋掘りが出来るのかと気をもむ日が続きましたが、27日の金曜日、雲一つない快晴に恵まれました。子どもたちには、お天気に待たされ続けたお芋掘りでした。内郷幼稚園と新町幼稚園両園で行ったお芋掘りは、大きなのが沢山とれて、青空の下、畑いっぱいに子どもたちの笑顔が広がりました。自分で掘ったお芋は格別らしく、先生に頼ろうとはせず、小さな身体で、力一杯袋を持ち上げてバスに向かっておりました。その姿が一段と頼もしく見えました。
 私はその日の朝食はさつまいもでした。先日買ってきたお芋を焼き芋にして、食べきれない分を冷蔵庫に入れてあったのを、縦に半分に切ってトースターで焦げ目がつくまで焼きました。いつもなら、それにバターをのせたりハチミツをつけたりするのですが、急いでいたのでそのままで食べました。
 私のお芋の食べ方は、たいがいは焼き芋にします。古くなって使わなくなった厚手の鍋に、よく洗ったお芋を拭いて水気を取り、そのまま鍋に置いて蓋をして、弱火で10分から15分間隔で返しながら焼き上げます。お水は一滴も入れません。細い竹串や金串がスッと刺されば出来上がりです。焦げ目も良くついて、おいしい焼き芋が出来上がります。手間もかからず、私の一番気に入った食べ方です。
 サツマイモを食べていると、よく幼かった頃のある出来事を思い出します。それは終戦後のある日のこと、疎開をしていた次兄が帰ってくるというので、母と駅に迎えに行きました。その兄の姿は幼い私の目にも異様に映りました。頭がいやに大きくてお腹が膨らみ、手足が細く身体全体が褐色に見えました。そして、やっと歩いているようでした。それは餓死寸前の姿だったと思います。家に帰り、食卓に用意されていたのは竹で作ったザルに、いっぱいに盛ったサツマイモだけでした。後で聞いたことですが、兄はそのお芋をそのままでは受け付けず、体力がつくまで、お湯に溶かして、スプーンで、ひとさじずつ掬っては飲ませていたそうです。
 母は、苦労なく育ったふるさとを遠く離れて結婚し、父も勤め人で都会に住んでいたために、頼れる食料調達の術もなく、3人の子供を食べさせるためにどんなに苦しんだのか計り知れませんでした。
そんな日々が続いた後、母は兄に、「一生に一度で良いから、お前たちにお腹いっぱいご飯を食べさせたい」といって涙ぐんでいたということです。
 今朝の口に含むサツマイモの味は、そんな幼い頃のとは比較にならないほど美味です。戦時中あるいは戦後のあの頃、大豆の絞りかすとか、ゴリゴリのカボチャかサツマイモの類しかなくて、幼い私が嫌がって食べないのを、母は、それをスプーンに掬っては自分の口に入れて「おいしい、おいしい」と、いかにもおいしそうな顔をしてみせながら、なんとか食べさせようと努力していたそうです。
 その時は、こんなにも飽食の時代が来るなどと母は想像だにしなかったことでしょう。子供たちがお腹一杯食べられる時代を迎えたとき、母はどんな気持ちになったでしょうか。重いサツマイモの袋を満足気に運んでいくこどもたち、そんな時代が繰り返されませんようにと祈る気持ちです。
 そして、これからの時代がどうなるかわからないと思うと、食べるものだけではなく、水や電気など無駄を省くことを身につけて欲しいと思います。知恵を働かせて無駄を省く習慣が、もしかしたらそれがいつか大きく役に立つ日が来るような気がします。

 お芋掘りの帰りに、庭に植えるお花がないかと、中野の花屋さんをのぞきました。これから寒さに強い花というと、今お店にあるのはスミレぐらいだというので、『虹色すみれ』と書いてあるのを選びました。私が選んだ花を見てお店の人が、「ああ、リカちゃんね」というので「この花、お人形の名前がついているの?」と聞くと、そうも呼ばれているそうで、生産者が特許を取った花だけど、あまり高くすると市場に出回らないと困るので、280円くらいで販売しているのが普通だということでした。素敵な名前をふたつ持つこの新種のスミレは、280円以下で見つけたらお買い得だそうですよ。

園長 浜野和子
地域の文化祭に出展しました。園の下のグラウンドに毎年実るからすうりを沢山観察して丁寧に書きました。 園で折り紙の柿を覚えたら、この作品の柿だけではなく、家でも夢中になって沢山折っていました。 春に種を蒔いたアサガオ。花や蔓の様子をよく見て書きました。

今年は沢山の実をつけた柿の木を間近に行って沢山観察しました。 消防署見学では沢山の道具を見たり触らせてもらったり、指令室や食堂、寝室など沢山の部屋も見させて頂きました。消防の服を着させて頂き、あまりの重さにびっくりしていました。 目をキラキラさせて園に帰ってきました。「消防士さん、かっこよかったね。」「消防士になりたくなっちゃった。」と話をしていました。



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