園だより

2月の園長室便り

地震について

 大寒の入りを待たずに極寒の日が来て、そのまま寒い日が続いておりますが、
皆さんのご家族の体調はいかがでしょうか。
 園内では内郷・新町共に、寒くて身震いするような日でも、半袖に短パンの体操服姿で過ごす
子どもたちがいて、その元気の良さに楽しくなります。
 さて、今月の25日に『神奈川県私立幼稚園の教育研究大会』で研修があり、出席しました。
午前中はアレルギーについての記念講演が行われ、午後からは各分科会に分かれての研修でした。
 私は危機管理についての講演を聞きました。講師は、福島県の幼稚園協会長でした。
内容は、災害にあった幼稚園や園児のことが中心でしたが、その先生が実際に体験なさったり、
視察をなさったことを、穏やかな口調で話される様子や、パネルに映される写真などを見ながら、
災害に会われた方々の苦悩が推察されて、深く胸に沁みました。
 特に原発の風評被害には苦しんでいるというお話でした。
世間では、立川断層が危ないとか、伊豆地方に大地震が想定されるなど、
身近に起こるかもしれない事柄を思うと、私には人ごとには思えません。
 内郷・新町両園でも、もちろん避難訓練を行っておりますが、
もっと見直さなければいけないと感じました。
例えば、実際に大地震が起こったとき、教室にいるとは限らないのですから
自分の防災ずきんを取りに行く間もないでしょうし、被っている間も危険かもしれません。
一刻を争うときにどのように対処すればよいのか、早急に職員間で話し合いをする予定です。
ご家庭でも、いざというときにどのような行動をとったら良いのかを、
家族間で話し合っておきたいですね。
 話は変わりますが、先日、阪神大震災からちょうど18年目を迎えたという報道がありました。
 あの日、皆さんはどこでそのニュースを聞いたでしょうか?
 私はちょうど出かける支度をしながら、7時丁度にNHKのスイッチを入れました。
そこに、アナウンサーの緊迫した声が地震のことを報道しておりました。
 「阪神方面に地震が起こり、4~5人の死者が出た模様です。」
 その時点では、あれほどの大変なことが起こっているということなど予測しませんでした。
 習志野市の知人の家にでかけて、お茶を飲みながら、そのことが話題になりました。
「ちょうどその時期に、枕元に吊るしてある貝殻細工が触れ合って、チリンチリンと、
かすかな音を立てたので、どこか隙間があって風が吹いていたのかなと思ったのだけど、
どこにもそのような様子はなかったのよね、地震の影響で揺れたのね。こんなことは初めてよ」
そして夕方に家に戻って、あの大惨事を知りました。
 そのようなことがあって間もなく、地震の渦中にあり、かろうじて命拾いをした人に出会いました。
 その日の前日、彼女はご主人の出張先である神戸の借家で過ごしていたそうです。
息子さんも、たまたま夕方にやってきて3人で食事を済ませ、
ご夫婦は一階のベッド、息子さんは二階の部屋に分かれました。
 夜明けの地震が起こったその時間、一瞬のうちに家の一階部分が崩れ、二階部分が覆いかぶさりました。
 外から、息子さんの必死に両親を呼ぶ声が聞こえてきました。
 二人は二階部分の下敷きになっていたのですが、たまたま、ベッドのヘッドボードと
フットボードが落ちてきた材木を支え、二人は床板との隙間にすっぽりはまったのだそうです。
「今助けを呼んでくるから頑張っていてよ」、
という声と息子さんが駆けていく足音が遠ざかっていきました。
 「お父さん、これで最後かもしれないから・・・いままで ありがとう」というと、
それには答えず、「無駄に体力を使うなよ、助けが来るまで黙っていろ」というご主人の声に、
うん、と答えると彼女はいつの間にか眠ってしまったそうです。
どのくらい時間がたったのか、やがて何人かの男性の話声がして息子さんの呼ぶ声が聞こえて、
間もなくその隙間から引きずり出されたということでした。
 二階が崩れたのはほんの一瞬でなすすべもなかったそうです。
 壁際においてあった茶箪笥が、形は残っているのに、後ろの板が家の壁ごと抜けて、
砕けてあるはずの食器類のかけらが、全く見当たらなかったことが後々までも、
とても不思議だったということでした。
 いろいろの人の体験談から、災害に限らず、いざというときは的確な判断と落ち着いた行動が、
生死を分けることが多々あることを改めて実感しました。
つくし組の節分の製作です。鬼のお面と豆入れを作りました。 たんぽぽ組は豆入れも鬼の顔です。 すみれ組は紙袋を利用してすっぽりかぶるようになっています。

豆まき会。鬼さんに豆を投げます。あんまり強いと かわいそうですよ。 全園児で楽しくお買い物。すてきなアクセサリー、どれにしようかな。 おだんごはいかがですか? たくさん種類がありますよ。



1月の園長室便り

私の迎春

 暮からお正月にかけて今年も穏やかな天候に恵まれました。
 保護者の皆様のご家庭では、良きお年を迎えられたことと存じます。
 さて、新年を迎えた5日に、私は友人と浅草寺の裏手にある『平成中村座』に
歌舞伎の新春公演を観に行きました。
 歌舞伎にはなんとなく縁がなくて、子供の頃、一度だけ歌舞伎座に行ったことがあるだけでした。
幼馴染と出かけるということでとても楽しみにしておりました。
 当日は多少の風邪気味で、公演中に咳き込んだらいけないと思って、のど飴を持つのだけは
忘れないようにしました。
 上野駅から循環バスに乗り込み、途中の商店街を走り抜けるとき、今話題のスカイツリーが目の前に現れて、
その建物が次第に大きくなっていくのをバスの正面の窓からしばらく眺めておりました。
雷門で降りて人波をぬいながら、まずは浅草寺にお参りして、賽銭箱の辺りに入れそこなったらしい小銭が
落ちているのを、いくつか拾って箱に収めたりして、目的の建物に向かいました。
 出し物は、『義経千本桜』『身替座禅』『雪暮夜入谷畦道』というものでしたが、
どれも、そのあでやかさと芸の素晴らしさに魅了された時間でした。
『義経千本桜』はたまたま読みかけていた本にその話が少し載っていたので、一番興味を持って鑑賞しました。
 この演目は、静御前と義経の別れの場面から始まるのですが、この話はあまりにも有名なので
ご存知の方は多いと思います。
読みかけた本では千本桜の話と共に書かれていた浄瑠璃姫の話に興味を惹かれました。
 この名はのちに『浄瑠璃』と呼ばれる芸能の元になった名前だそうです。
 この姫は、鳳来寺というお寺の申し子(神様にお願いして授かった子)で長者の娘として生まれますが、
14歳の時、当時15歳の義経と束の間の恋に落ちました。
まだ名もない時代の義経を、いやしい身分の男としか思わぬ母親は、
身分の高い男性と結婚させようとしていた娘が、そのような男に夢中になって後を追うのに激怒して、
家から追い出してしましました。
姫はたった一人の侍女を連れ、さすらいの旅に出るが食べ物にも事欠く生活をしていましたが、
ついには義経恋しさのあまりに身を川に沈める、という悲しい物語です。
 ひたすら神に祈って得た一人娘を、自分の意に添わなかったことで家を追い出す母親の心も、
現代人には理解できない人は多いかも知れませんね。
 浄瑠璃姫の母親の、たとえ身を切られるよりも辛いことでも、しっかりけじめをつけることのできる人の凄さを
感じます。
浄瑠璃姫に比べると、静御前は、義経と別れた後、頼朝に捕らわれて鎌倉に連れて行かれて、
舞を舞うように強要され、命を懸けて義経を恋しがる歌を詠みながら舞ったという気丈な女性です。
 それにしても、兄の頼朝の怒りに触れ、東北に逃げる義経に従ったという正妻、
静御前という白拍子の舞の名人、そして浄瑠璃姫、後世に名を残す二人の女性、
命をかけて義経を愛した女性たちの悲劇的な生涯を思うまでもなく、これほど永い歴史のなかで愛される
義経という男性はどれほど魅力的な人だったのでしょうか。
人混みから抜けて家路に急ぎながら義経像を思い描いておりました。

 話は変わりますが、今年の年賀状の一枚に、東北大震災の影響で被害を受けた友人からのがありました。
 十年あまり前に長男を亡くし、その二年後にご主人を亡くし、二男は東京に就職したので、
ただ一人高萩に残って、家と墓を守っていた彼女を今度は震災が襲い、家を失くして今アパートに暮らしております。
 その賀状には、剣道の防具を身に付け、きりっと正面を見据えている彼女の写真がありました。
その横顔が『大丈夫、私は挫けないからね』と、力強く私にメッセージを送っているようでした。
ご主人が生前に、お前は全く子供でなにもできないのだから、と言われていた彼女が、
こんなにもりりしく立ち上がろうとする意志をこの賀状に込めているのだと思うと、胸が熱くなる思いでした。
彼女は、静御前型の女性なのでしょう。
 そして今年の『紅白歌合戦』は、用事をしながら見たり見なかったりしていたのですが、
グループでの出場が多いのと、若い人たちの達者なダンスと踊りながら歌う器用さに感心しました。
被災地への応援メッセージが各場面にあふれていて、このようになに不自由なく大晦日を過ごしている自分に
申し訳ないような気持ちがよぎったり、複雑な思いがありましたが、とりあえずは、最後に歌ったスマップの、
会場をまきこんでのステージに満足して新年を迎えました。
ちなみに、紅白の視聴率は、スマップが最高で、最低は森進一だったそうで、スマップより森ファンの私は、
ここでも時代を感じました。
朝のラジオ体操とマラソンの後、体力づくりをしています。 つくし組はジャングルハウスを登ります。 たんぽぽ組はうんていを使って。

むこうまで渡りきれるかな。 すみれ組は鉄棒にぶら下がったり、飛び上がって前回りなど。 けんけん、ぱー、うまくできるかな。すみれ組のお友達です。



12月の園長室便り

高望みをしない龍でありたい

 カレンダーは、12月の一枚のページを残すだけになりました。
 それにしても、今年は例年に比べて寒暖の差が激しいように思えて、いつもの年より疲れを感じるのは
私だけでしょうか。
 各地方の紅葉の便りが報道され、冬が近づくにつれて、各部屋から楽しそうな音楽が流れてきてお遊戯会の
練習が次第に盛り上がっていく様子を感じます。
 毎年の事ながら子供たちがどんな活躍をするのかが、私もとても楽しみです。
 そのような中、11月の半ばを過ぎたころ、所要があって私は年上の友人を訪ねました。
 その友人は、若いころには、自分のお店を持って美容師として活躍していたのですが、そのお客の中に、
野田総理のお母さんがいて、彼女とは仕事の合間によくお茶のみをしたりして、気さくな農家の奥さんだったそうです。
 総理は、近隣でも評判の、頭の良い人だということでした。
松下政経塾に通い始めたころ、誰一人として野田さんが総理大臣になることを予測した人はいなかったということでした。
その日たまたま総理の家の前を通ったのですが、警官が警護しておりましたが、本当に普通の家で、
警察官が立っているのに違和感が感じられるほどでした。
 ところで、先日来、オウム真理教の信者の最後の裁判の事が報道されておりましたが、その様子を見聞きしながら、
私もかなり興味を持って事件の推移をみていた時期があったことを思いだしました。
 それは、当時私が指圧にかかっていた先生が、松本智津夫と一緒の教室で学んでいたという話を
聞いていたことにもよると思います。
 あの当時、マスコミが朝早くからやってきて、彼のことをいろいろ聞いて行ったそうです。
 松本被告は、とにかく勉強熱心で、友達をつくって話し合ったり、グループに入ったりするようなことはなく、
授業の合間の休憩時間には、ひたすら本を読んでいたそうです。
 そして開業すると、当時、指圧や鍼の職業で宣伝に看板をかける人はいなかったのが、彼がそれを考えだし行い始めて、
皆が真似をし始めたりして、指圧師としても腕は確かで、治療院にはかなり人が集まり繁盛していたということでした。
 近くのスーパーに奥さんと一緒によく買い物に出かけたりしていたということですから、
けっこう家庭的な人だったのかもしれません。
 教祖の松本智津夫夫妻が住んでいた家も、通りがかりに見たことがありましたが、
ごく普通のつつましい感じの家でした。
 前述の、野田総理の家からは車で、十分前後の距離しかはなれておりませんでした。
 優れた頭脳、人より並はずれて努力する姿勢、あれだけの優秀な人たちを引き付けたカリスマ性、
素晴らしい能力を天から授かりながら、世界に名を馳せるような大罪人として死刑を宣告されました。
犯罪史上にも永く名を刻まれることでしょう。
 これほど近い距離に住んで、同じように才能に恵まれ、一方は総理大臣として、
一方は未曽有の大罪人として後世に名を残す不思議さを感じます。
 松本被告も、人のために役に立つことの喜びを感じ、誰もが背負う社会に対する責任を果たすよう
心がけることを学んでいたら、きっともっと違う道を歩んだような気がします。
 自分だけの幸せしか喜べない人は、どこかで行き詰ることでしょう。
でも、人の幸せを自分のものとして共有できる人は、心の中に果てしなく豊かな幸せが広がります。
ただし、嫉妬心を持つのが人の本来の姿とすれば、そんな優しい心を持つのも容易なことではないかも知れませんが。
反社会的なことをしないように、人様の迷惑にならないように幼い時から折に触れて言い聞かせることの大切さを
テレビの画面を見ながら実感しました。
 来年は辰年ですね。雲に乗り、天に登る龍、そして干支の中では善の象徴として描かれております。
同じ龍でも、天に登れず、泥沼をはい回る龍がいると聞きます。こちらは『みずち』というそうですが、
来年は辰年の『善の心』にあやかれるように、小さな親切を心がけたいですね。天を駆ける龍にはなれなくとも、
日々平凡な生活の中に幸せを感じる、そんな辰年でありたいと願っております。
お遊戯会にて。 全園児による合唱です。 すみれ組とたんぽぽ組の合奏です。 つくし組のお遊戯、とってもかわいくできました。

たんぽぽ組の男の子。きめのポーズです。 たんぽぽ組の女の子。みんなダンスが大好き! みんながとっても頑張ったのでサンタさんがプレゼントを持ってきてくれました!



11月の園長室便り

お遊戯会に思うこと

 内郷・新町両園の運動会は、保護者の皆様のご協力の元で、好評のうちに終わりました。
ご協力ありがとうございました。
 その後のプレジャーフォレストで行われたお芋ほりでは、フォレスト側でも、当園のために今年も
お芋を育てておいてくれました。
 フォレストでは、どちらの場所で遊んでもよいといって下さっていたのですが、
去年と同じジャブジャブ池が取りあえずは一番適当かと判断して、その場所をお借りしました。
 両園の交流を持つ機会も少ないので、このチャンスを逃さず、昼食時を利用して伝承遊びを行いました。
内郷と新町のお友達がペアーになるように設定したのですが、なんとなくはにかんでいるような様子の子が
いたり、すぐに親しくなったりする子がいたりして、ほほえましい光景がいろいろありました。
 そして、時間が許す限り、近くの遊具で遊び、ほんとに満足げな子供たちの様子でした。
 そんな日々の中でも、お遊戯会の準備がすでに始まっております。
 私は運転中によく音楽を聴いているのですが、そのCDのなかに、さだまさしの歌う『親父の一番長い日』
という歌があります。
 兄が妹の誕生から結婚式の日までを語る歌なのですが、その話の中に、妹が赤鬼の役になり、
それを父親が大喜びをしているという場面を歌った部分がありますが、たとえ端役で、しかも鬼の役であっても
喜び勇む父親の様子などすべてにあたたかい雰囲気の流れる一曲です。
 そのような時代から思えば今のお遊戯会の劇は、昔とずい分様変わりしたと思います。
 子供たちの、舞台での活動の場が、全員なるべく平等になるように、踊りなど各部分で工夫されていることです。
 運動会の時も、同じくらいの速さの子を揃えて走らせるというようなことをどこの園でも取り入れているようです。
 このような場面になるとどうも私は何かが違うのではないかな、という思いにとらわれます。
 お遊戯会の劇で主役になって目立つこと、運動会で一番先頭を走って拍手を沢山貰うこと、
これはこれですばらしいことだと思います。
 でも脇役があるから主役が成り立つ、グループで走るから一番が生まれる、皆、集団での行動があってこそなので、
我が子が脇役で舞台での活動が目立たなくても、上記に紹介した歌のなかの父親のように、
与えられたことをしっかり行うように、保護者の方が温かく励ましてあげることで子どもは喜んでその役を
立派に果たすでしょう。
 主役を引き立てる脇役がいるからこそ物語がおもしろくなります。映画や演劇でも、
『主役を食ってしまう脇役』といわれる名脇役が過去にも現在にも何人も居ります。
その物語の主役が誰であったかを忘れても、そのような脇役の何気ない仕草が人々の記憶に沢山残ります。
 この世でも、平凡に生活をしている庶民に比べて、一握りの豊かな人々がおります。
大成功を収めて、周囲から羨望の目で見られる人もおります。
 何年前のことでしょうか、私はその人生のすばらしい脇役に出会ったことがあります。
 ある日のこと、都内のJR線の駅のトイレでのことです。モップを持ってトイレの掃除をしていた中年の女性が
同僚の友達に久しぶりで行き会ったようでした。
「元気そうね」という声かけから、二言三言たわいない会話があってのち、友達と思われる女性が
「本当にあんたの掃除したあとはきれいだね」と周りをみまわしながらいうと、
その女性は「私が掃除したトイレは、誰よりもピカピカにして、利用する人に気持ち良く使って欲しいと思っているよ、
私は、仕事は誰にも負けないよ」。その自身に満ちた明るい声に、私は思わず彼女のほうを振り向きました。
 片手にしっかりとモップを持ち、背筋をピンと伸ばして明るく笑みを含んでいて、
自分に与えられた仕事に情熱をもって取り組んでいる様子が頼もしく、その人が美しく見えたことが今でも思い出されます。
 それは『自分の与えられた仕事に誇りを持って』日々を過ごしているという、
人生劇場の舞台上で素晴らしい生き方をしている人に出会うことができた日でした。
 本園の子供たちが社会で成功を収めて優雅に人生を送る、それは私もうれしいことです。
一方で、社会の片隅で、小さな花を咲かせている人たちにも限りないエールを送り続けたいと思っております。
秋の遠足でお芋掘り。大きなお芋がでてきたよ。 2人仲良くお芋と一緒に、はいポーズ! 先生、ぼくのお芋も大きいよ!

お芋掘りのあとは、新町幼稚園のお友達と一緒に伝承遊び。 ちゅうりっぷクラブは11月はお散歩に行きます。こちらはうさぎコース。 バッグを作ってから秋の落ち葉やどんぐりを拾います。こちらはひよこコース。



10月の園長室便り

運動会、応援をよろしく

 激しい雨風を運びながら縦断した大型台風15号、皆さんのお宅では被害のほうはいかがでしたか?
あまりに激しい雨風に、不安と恐怖を抱いた方もいたことでしょう。
 嵐のなか、どうしても外出しなければならないことがあって出かけましたが、雨の激しさに、
フロントガラスがまるで水の膜を張ったように一瞬外が見えなくなるような中での運転に、
恐さを感じながらも、そんな体験に興味を持ったりしておりました。
 台風がすっかり収まったその日の夜8時少し前、高萩という、茨城と福島県の県境のあたりに住む
友人から、今台風が通過してひどい荒れ模様だという電話があったのですが、
窓を打つ雨風の激しさに、私の声があまり聞こえないからといって電話が切れました。
 ここを走り去り、そして走り続けて200キロ近くは離れていると思われるところを、
今も走り続けているのだということを、その電話が、私にリアルな嵐の状況を伝えました。
 嵐が去った翌日は、木が根こそぎになって倒れていたり、看板が曲がって垂れ下がっていたり、
道路に落ちていたり、緑の葉が、小枝をつけたまま道いっぱいに敷き詰めたようになっているのを、
車のわだちが容赦なく踏んで走り去っていくさま、抜けるような青空の下では、
別の世界を走っているような朝でした。
 そのような台風一過のあとの内郷幼稚園の園庭では、前日に予定していた運動会のリハーサルが
行われました。
 多少涼を含んだ秋の風を感じるとはいえ、夏のような太陽の強い日差しでした。
 そのような中でも、子どもたちはところどころ少し気を抜いているかしら、
と思われるところもありましたが、しっかり練習してきた様子が受け止められました。
 強い日差しの中、大勢のお手伝いの方々が集まって下さったのですが、
ずっと立って暑い日差しをあびていらっしゃったのは大変だったと思います。
 午後、内郷小学校に運動会の招待状を持って伺ったとき、校長先生から、
「内郷幼稚園の組体操はすばらしいと聞いております」という言葉をいただいて、
ミーティングで話すと、先生達はかなりプレッシャーを感じたようです。
 26日の月曜日には、新町幼稚園のリハーサルが行われました。
 曇り空の中、雨を心配して5分早く始めたのですが、途中で雨が降り始めて、玉入れは中止、
組体操は室内での練習に変更しました。
 役員の方々、お手伝いのお母さんたちは、最後まで残って打ち合わせを行っておりました。
 晴天時は内郷幼稚園の運動会は10月1日の土曜日に、
新町幼稚園は10月9日の日曜日にそれぞれ行われます。
園児たちは、皆さんの見守る中で、持てる力を十分に発揮することでしょう。
幼い身体で一生懸命行う健気さ、私もそれを見るのが楽しみです。
 当日は、園庭や校庭に集まって下さった皆さん方には、進んで競技に参加していただき、
沢山身体を動かして、園児たちとともに、おおいに楽しんでいただきたいと願っております。
そしていつも思います。会場に来た皆さんが、子どもたちの頑張る姿に、力いっぱい応援の拍手や
声援を送って下さったら、それがどんなに子どもたちを励まし思い出に残るであろうかと。
子どもたちのために、皆さんたちの、心からの応援をお願いいたします。
 また、役員の方々、お手伝いの方々、当日はどうぞよろしくお願いいたします。
たんぽぽ組の小さなパイレーツ。みんなよくそろっていましたよ。 すみれ組のソーラン節。とっても力強く、元気にできました。 年長・年中組合同の組体操です。  きれいな扇ができました。

鈴割りの鈴に一生懸命玉を投げます。白組・赤組がんばれ! みんなで遊ぼう!わらべうた、    ずいずいずっころばし♪ 進め!パパママ号! 急いでいても安全運転で。



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